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勝手に評価!サッカー日本代表歴代監督の一覧(オシム、アギーレ等)

こんにちは。「ざっきぶろぐ」です。

 

ここ最近になって、サッカーが盛り上がっていますね。国内のJリーグだけでなく、海外サッカーの情報も手軽に見れるようになりました。

 

スカパーやWOWOW、DAZNなど、各サービスを活用すれば誰でも視聴できますし、YouTubeなどの動画配信サイトで見ることも可能です。

 

『子どもがなりたい職業ランキング』では毎度の事のように上位にランクインしていますし、直近のワールドカップ2018ではベスト16に進出するなど、様々な活躍が目に余ります。

 

こうやって考えると、ふと、こんな疑問が沸いてくるかと思います。歴代の日本代表監督ってどんな人だったのかな?と。

 

そこで今回の記事では、歴代のサッカー日本代表監督の情報と私が覚えている歴代監督の評価を勝手にまとめてみたいと思います。

 

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※この記事で記載されている『在任期間』は、初采配の試合開始月から、最後に行った試合月でまとめています。また、随所に当時の監督のドキュメンタリー著書を載せていますので、良ければご覧ください。

ハンス・オフト(オランダ)

 

在任期間は1992年5月から1993年10月。1994年W杯予選でドーハの悲劇を身をもって体験した監督になります。私も動画で何度も『ドーハの悲劇』を見ました。

 

ドーハの悲劇とはワールドカップに出場するための予選の試合での出来事です。これで試合が終われば、いよいよワールドカップ本選に出場できるという状況でイラクに同点ゴールを許してしまいました。

 

あの時は可哀そうだったと思います。あれ以来、日本代表は一回り粘り強くなりましたよね。当時のオフトジャパンのメンバー柱谷哲二、都並敏史、ラモス瑠偉らを中心に、基礎的なサッカーを展開していました。

 

良く言えば各ポジションがしっかり決められているサッカーです。悪く言えば流動性のないサッカーとも言えます。小刻みにパスを回し色々な選手が様々なところに顔を出す現在のバルセロナとは違いますね。

パウロ・ロベルト・ファルカン(ブラジル)

ワールドカップに出場できなかったハンス・オフトの次に任されたのはパウロ・ロベルト・ファルカン氏です。在任期間は1994年5月から1994年10月の出来事になります。

 

ハンスオフトはオランダ出身、対してファルカンはブラジル出身です。名前を聞いたこともあると思います。このファルカン、インテルナシオナルやイタリアの名門ASローマで、ボランチを務めるブラジルを代表する選手だったんです。

 

あ、ボランチっていうのは、中盤の低い位置の事ですね。

 

ディフェンスとミッドフィルダーの間にいる選手です。バルセロナだとブスケッツ、少し前の日本代表だと遠藤保仁や中村憲剛、今は柴崎岳あたりでしょうか。

 

ファルカンは選手時代、このボランチに居てロングパスで攻撃を自在に操っていました。 卓越した戦術眼から『走る指揮官』と揶揄されたこともあったそうです。

 

その後、ブラジル代表、クラブ・アメリカ、インテルナシオナルを指揮し、いよいよ1994年に日本代表の監督になりました。小倉隆史や前園真聖の時代ですね。

 

新しい風を吹かせようとして新監督を任命したのだと思います。当時の日本はドーハの悲劇で落ち込んでいる最中でした。でも結果は全然ダメでした。アジア大会では韓国よりも上に行けず、なんと5カ月で解任。早過ぎます。

加茂周(日本)

 

協会が次に目を付けたのは加茂周(かもしゅう)さん。在任期間は1995年1月から1997年10月の出来事です。

 

「オランダ出身もブラジル出身もだめだな、やっぱり日本の監督がいいべさ!そうだ加茂さんにお願いしようだべざ!」

 

ってなわけで監督になった加茂さん。ちゃんと説明すると前監督のファルカン氏は日本語が話せずコミュニケーション不足が問題になっていました。

 

それで、日産自動車サッカー部や全日空サッカークラブを率いてきた経験のある日本人監督が誕生したという訳なんです。

 

加茂さんは個の力ではなく組織で勝つことを教えたようです。もしかすると、今の日本代表の組織で勝つ戦い方はこの時代から受け継がれているのかもしれませんね。

 

でも、1998年ワールドカップアジア最終予選(始まったのは1997年9月)での韓国戦で、フォワードに代えてディフェンダーを投入し逆転負けを喫したことなどが重なり、途中で更迭されることになりました。

岡田武史(日本)

 

さて、日本代表にある程度詳しい方なら、ここら辺から名前を知っている人も多いと思います。次に任命されたのは岡田武史監督です。在任期間は1997年10月から1998年6月の出来事になります。

 

当時、岡田氏は日本代表のコーチとして参加していました。しかし加茂周さんが突如更迭されたことにより、緊急的に次の監督が必要になりました。その時点でチームを知っている人が良い、ということで代理監督に選ばれたのが岡田さんだったんです。

 

この時、日本は初めてのワールドカップ出場を果たします。1998年のフランスワールドカップです。ドーハの悲劇からは4年が経過していました。

 

ついにワールドカップのグループリーグに参加できる時が来たんですね。日本の歴史的なワールドカップ出場の時です。(※ワールドカップはトーナメントの前にグループリーグがあります。各4チームで戦い上位2チームがトーナメントに出場できるんです。)

 

結果は...3戦全敗。中山雅史さんの1ゴールしか決めれず、岡田さんは監督を退任することになりました。残念。

フィリップトルシエ(フランス)

 

1998年のフランスワールドカップが終わりました。初めてのワールドカップだっただけに世界のレベルは高かった、と誰もが実感したと思います。次に監督になったのは、フィリップトルシエさんです。

 

在任期間は1998年10月~2002年6月。この時、当時名古屋グランパスの監督だったアーセン・ヴェンゲルに白羽の矢が立っていました。ヴェンゲルと言えば、後に無配優勝を成し遂げるなどアーセナルの一時代を築いた名将監督です。

 

この時は名古屋グランパスを指揮していたんですね。そんなヴェンゲル氏に日本代表監督をオファーしたところトルシエ氏を推薦されたようです。

 

結局、日本サッカー協会はヴェンゲル氏の推薦を受け入れる形で、トルシエ氏を外国人としては3人目となる日本代表の監督に任命したんですね。

 

しかし、この決定は大当たりとなります。初めての自国開催ワールドカップ(2002年日韓ワールドカップ)でグループリーグ1位でのトーナメント出場を決めたんです。この時、中村俊輔を代表から外したことでも話題になりました。

ジーコ(ブラジル)

トルシエ氏の後を引き継いだのは、現役時代ブラジル代表の『黄金のカルテット』としても活躍したジーコ氏です。在任期間は2002年7月~2006年6月の4年間を務めました。

 

この当時、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一の4人を同時期用したことで話題となりました。自らの称号だった黄金のカルテットを監督として自分で体現しちゃったんです。

 

ここら辺で日本は外国人監督招へいにまた力を置くようになりました。

 

しかし名選手が名監督になるとは限りません。ここ最近では(2020年)スペインのレアルマドリードの指揮官を務めるジネディーヌ・ジダンが有名ですよね。ジダンは指揮官としても成功を収めていますが、当時のジーコはどうだったのか。

 

アジアカップは見事優勝しましたが、2006 FIFAワールドカップでは2敗1分けでグループリーグ最下位の敗退に終わってしまいました。契約満了により退任した形なので、一応任期は全うしたことになります。

イビチャオシム(ボスニアヘルツェゴビナ)

 

さあ、この辺から何となく知っている人も多いと思います。昔、タカアンドトシ(漫才師)が「ジーコをオシム(惜しむ)」という一発逆を披露していたのを思い出しました。(笑)

 

次に日本代表の監督に就任したのは、またしても外国人指揮官。在任期間2006年8月から2007年11月まで務めたイビチャ・オシム氏です。

 

当時、オシムさんはジェフユナイテッド市原・千葉で指揮を執っていました。ヤマザキナビスコカップで優勝し賢く走る(考えて走る)ことをテーマに選手たちを指導しました。

 

川口能活、楢崎正剛、田中マルクス闘莉王、駒野友一、伊野波雅彦、長谷部誠、家長昭博、本田圭佑、大久保嘉人らの時代です。サッカーを哲学的に語ることも多く、しばしばオシム語録と評されることもありましたね。

 

・ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか?要は準備が足らないのです。

・アイデアの無い人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない。

・大きく成長を遂げていると思う。だが問題は、君たちマスコミだ。40年間、まったく成長していないのでは?

・一生懸命探すニワトリだけが餌にありつける。

・追いつこうと思うから離されるのだ。

 

中々面白いですよね。ニワトリの名言はよく分かりませんが。(笑)

 

個人的に好きな監督だったんですが、2007年11月16日に千葉の自宅で脳梗塞で倒れてしまい緊急入院することになりました。考えて走るサッカーを提言し続けた指揮官という印象があります。

岡田武史(日本)

 

オシム氏が指揮を続けられなくなった為、急遽別の指揮官が必要になりました。緊急時の代役監督として適任は誰なのか。以前もこんなことありましたよね...。そうです。

 

日本サッカー協会は岡田武史さんに再度打診することにします。(在任期間は2008年1月 - 2010年6月)

 

でも、これはかなりの衝撃を世間に与えるものとなりました。なぜなら、岡田さんは以前のワールドカップで3戦全敗をしているからです。(笑)そんな監督を再度任命してい良いのか?と話題になったんですね。

 

でも、ここからドラマが生まれるんです。

 

2010年の南アフリカワールドカップ。大多数の人がグループリーグ敗退を予想する中、試合のホイッスルが鳴りました。当時、長友佑都、内田篤人、松井大輔、遠藤保仁、本田圭佑、長谷部誠らが出場していました。

 

初戦のカメルーン代表に1対0で勝利、続く第2戦ではオランダに敗れるものの、第3戦のデンマーク戦では、本田圭佑、遠藤保仁の華麗なフリーキックが決まり3対1で勝利しました。

 

本選出場直前に攻守速攻型のカウンター戦術に切り替えたことが功を奏し、見事ベスト16に入りました。最後は駒野友一のPK失敗で幕を閉じましたけど、本田圭佑の無回転フリーキックは衝撃的でしたね。

ザッケローニ(イタリア)

 

その後、少しの期間を経て日本サッカー協会は再び海外へ触手を伸ばします。2010年5月までイタリアの名門ユベントスで指揮していた監督に目をつけます。そう、アルベルト・ザッケローニさんです。

 

ユベントスと言えば現在(2020年3月時点)、クリスティアーノ・ロナウドやイグアイン、ディバラなど有名選手を揃える名門です。そんな名門クラブを率いていた&親日家だったこともあり、日本の監督に選ばれたんですね。

 

在任期間は2010年10月~2014年6月まで指揮しました。ザッケローニ仕様の3バックシステムを採用したり、イタリアサッカーでカテナチオと呼ばれている戦い方を好みました。

 

カテナチオとは攻守速攻型の戦い方、つまりカウンターを主体とする戦術です。素早いパス回しをしながらサイド攻撃を起点にする戦いを構築しようとしました。

 

そこで重宝されたのが、当時マンチェスターユナイテッドに所属してた香川真司です。その他にもミランの本田圭佑、インテルの長友佑都と歴代最高メンバーが揃った状態で2014年FIFAワールドカップ(ブラジル)を迎えることになりました。

 

しかし結果はグループリーグ敗退。第1戦のコートジボワールに1対2で敗れ、続く第2戦は1人少ないギリシャ相手にスコアレスドロー。

 

第3戦はコロンビアに1対4で大敗。この時、一躍有名になったのが日本相手にゴールを決めたハメスロドリゲス選手。この後レアルマドリードへ移籍することになります。

 

そんなハメス選手は置いといて日本代表はグループリーグ最下位でブラジルを去ることになりました。その後、ザッケローニ監督は2014年6月26日、退任を発表しました。

アギーレ(メキシコ)

 

約4年間指揮してグループリーグ敗退という結果は残念でしたよね。協会が次に目を付けたのはハビエル・アギーレさんです。オサスナでリーグ4位という好成績を収めたり、レアルマドリードでも指揮したことのある経歴を買い次の日本代表監督に選びました。

 

しかし、在任した期間は2014年8月から2015年2月までと、半年も持ちませんでした。ニュース報道でも散々取り上げられましたが、八百長疑惑が問われたんです。

 

スペインの検察当局から告発され事情聴取を受ける等々、監督の仕事が出来なくなり途中で契約解除となりました。監督としてのスタイルはあまり分かりませんでしたが、おそらく縦に速いショートカウンターを主体とする戦術だったのではないかと思います。

ハリルホジッチ(ユーゴスラビア)

 

そして次の新監督が招へいされます。2015年3月~2018年4月7日まで指揮したハリルホジッチ監督です。コートジボワールやアルジェリアなど監督経験も豊富で、ルールをしっかりと守る厳しい指揮官として知られています。

 

パスを繋ぐよりも縦に速いサッカーを主体とする戦術でした。ここでお気づきかと思いますが、アギーレ監督もショートカウンタースタイルでした。もしかすると戦術が少し似ていたのかな?とも思います。

 

新しい選手も積極的に採用しチームの若返りが図られました。原口元気や清武弘嗣などの若手を積極的に使い、チームに新しい風を吹かせました。でもそれと同時に選手との意見の相違が生まれ、本田圭佑や香川真司といったベテラン選手が代表に呼ばれなくなるという時期もあったんです。

 

やがて不満は爆発します。ミーティングを持とうと話しても、ハリル側がそれを拒むなど問題はどんどんと増えていきました。やがて当時技術委員長だった西野朗さんが聞き取り調査を行うことに...。

 

そして2018年4月7日。ハリルホジッチ監督は日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長から契約解除の通達を受けることになってしまいます。

 

コミュニケーション不足と言えばそれまでなのですが、ロシアワールドカップを控えた直前での出来事に多くの人が驚きました。

西野朗(日本)

 

その後、2018年4月9日から2018年ロシアワールドカップまでの約2ヶ月間、西野朗さんが指揮を務めることになりました。コミュニケーションできる人材+すぐに指揮できる監督と考えると西野さんが適任だったわけです。

 

ほとんどチームを構築できない状況の中、2018年ロシアワールドカップが始まりました。まるで2010年南アフリカW杯の岡田武史氏と同じような状況です。当時も本田圭佑のフリーキックなどドラマが沢山生まれましたが、2018年も歴史は動きました。

 

初戦のコロンビアに勝利。セネガルに引き分け、第3戦ではポーランド相手に後ろでパスを回し続け時間を稼ぎ、見事グループリーグ2位通過を果たします。

 

ベスト16で惜しくもベルギーに敗れましたが、スリリングな試合展開で多くの観客を沸かせました。セネガル戦で見せたオフサイドトラップは見事でしたよね。

森保一(日本)

 

2018年のロシアワールドカップが終わり、次に監督として選ばれたのは森保一(もりやす はじめ)氏です。2018年7月26日に西野朗氏の後任として選出されました。U-23サッカー日本代表監督と日本代表監督を兼任しています。

※2020年3月現在も森保一氏が日本代表を指揮しています。

まとめ

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いかがだったでしょうか?

 

今回の記事では、『勝手に評価!サッカー日本代表歴代監督の一覧』と題してまとめてきました。こうやって振り返ってみるとドーハの悲劇から様々な歴史があったんだなと考えさせられますね。

 

オシム語録、アギーレ氏の八百長疑惑、ハリルホジッチのコミュニケーション問題、からの西野朗氏が率いてベスト16へ進出、などなど色々な歴史が詰まっています。

 

今後もどんな試合が展開されていくのか楽しみですね。それでは今回の記事はここまでになります。最後までお読みいただきありがとうございました。