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コンビニ人間を想像して書いてみる

こんにちは。「ざっきぶろぐ」です。

「コンビニ人間」が流行ってるみたいです。もう古いと言われるかもしれません。でも私にとっては最新ニュースなのです。書いた人は分からないしどんな内容なのかも一切分からない。そんなニュースに疎い人がコンビニ人間を書いたらどうなるのか想像して書いてみます。

タイトル「コンビニ人間」

 

コンビニというのは酷く残酷だ。時には人を傷つけ豹変させる。私はこれまで何度もコンビニで変わっていく人達を見てきた。そう、あの日も。

 

あれは15年前の夜だった。私は母に連れられて小さなコンビニの前にいた。子どもというのはいつでもやんちゃ盛りで、新しい物には好奇心をむき出しにして眺める。そんな子どもの私にコンビニは刺激が強すぎた。全てにおいて輝いて見えたのだ。光る電気の蛍光灯は、自分の家の暗い電気と比べると眩いぐらいに輝いていた。ピシッとした身なりの定員は、それまで服に興味のなかった私を虜にするのに十分過ぎるものだった。何より気になったのは店の陳列された商品だ。私は子供ながら好きな商品を探して回った。

 

何を隠そうお菓子である。子どもはなぜかお菓子が大好きなのだ。コンビニで「何でも1つカゴに入れて良いよ」と言われると真っ先に手に取るのはお菓子だった。大人に質問をしても同じ答えは返ってこないだろう。きっとハーゲンダッツやボジョレー・ヌーボーのような高い商品をニヤニヤしながら持ってくるはずだ。その点子どもは純粋な目で、純真な心で100円のチョコを持ってくる。子どもというのはそういうものだ。

 

私も子どもという枠組みから外れることなく、お菓子を手に取った。ココアシガレットというお菓子を知っているだろうか。昔から子供の遠足に持って行っては煙草の真似をして遊ぶ連中がいたもんだ。ちなみに私はそれをしなかった。子どもながらに「お菓子は普通に食べるのが格好良い」と思っていたからだ。それはじゃがりこでもトッポでも変わらなかった。誰が一番トッポを横にして口の中に入れれるか、という戯言を友達のそばで普通に食べながら聞いていた記憶がある。

 

そんな子どもにとって遊び要素満載のお菓子が並ぶコンビニで「ココアシガレット」を選んだのには理由がある。あの一袋の量が丁度良いのだ。スナック菓子は食べ切れない。子どもにとって一番重要なのは量ではない。質だ。だがその当時の私はそんな事気にも留めない。ただただココアシガレットが食べたかった。

 

母はココアシガレットが入ったカゴをレジに持っていった。その時は確か、あんパンとコカ・コーラ、そしてコーンフレーク他多数入っていたと記憶している。お菓子を買えた安心感と夜遅かったせいもありすっかり眠くなってしまった。コンビニの中から見える外の景色は真っ暗だ。

 

家に帰ったらココアシガレット食べようかな。

明日の朝にしなさい、と怒られるだろうか。

 

「125円〜、165円〜、298円〜、30円〜。」

 

静かなコンビニに定員さんの声が響き渡った。ココアシガレットってこんなに安いんだ。他の商品に比べて明らかに安いなぁと感じたが、定員さんは声を変えずに仕事をしている。しかしそのあとの袋の入れ方に驚いた。なんとココアシガレットを一番下に入れたのだ。

 

子どもでも分かる。コカ・コーラを買っている時点でココアシガレットはこのあと潰れると確信した。しかし定員さんは慣れているらしく気が付かないふりをしてそのまま入れ続けたのだ。その時の母の対応にも目を丸くした。母も気が付かないふりをしているのだろう。そのまま黙って見ているのだ。

 

子どもはそういう事に敏感だ。「ココアシガレットが潰れてる」と言いかけた時、母に抑えられたのかは分からない。気が付くとコンビニの外を歩いていた。私が後ろを振り返ると光輝くコンビニはこちらを見て嘲笑っているように感じた。

 

あれがコンビニの人間のやることか。コンビニは怖いところだ。子どもの夢を潰す場所だ。あそこで働くと冷淡で無感情の人間になる。いや、母も見ていないふりをしていた。母もコンビニの仲間だ。みんなコンビニ人間だ。
恐ろしく光輝くコンビニに操られた人間なのだ。

 

それ以来、コンビニでココアシガレットは買ったことがない。スーパーでも買えるからね。

 

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